ものたちが目覚める場所 ― 名和晃平『Sentient』展
はじめに
東京・谷中。
細い路地の奥に、静かに佇む「SCAI THE BATHHOUSE」があります。
かつて銭湯だった建物を改装したこのギャラリーは、天井が高く、どこか懐かしさを感じさせる独特の空気をまとっています。
ここで今、名和晃平さんの個展「Sentient(センシエント)」が開催中です。
名和さんといえば、透明な球体で存在を変容させる《PixCell》シリーズなど、
物質と生命の境界を問い続けてきた現代アーティスト。
今回の「Sentient」というタイトルは、“感覚を持つ存在”を意味し、
日常のなかで眠っていた「ものたち」が目を覚ますような空間が広がっていました。




見どころ
会場に入ると、大小さまざまな彫刻作品がずらりと並ぶ光景に圧倒されます。
その数はおよそ20点。台座にそれぞれ置かれたオブジェたちは、互いに静かに呼応しながら、複層的な世界を紡いでいました。
使われている素材も実に多彩です。
1970年代製のブラウン管テレビ、節句の飾り馬、デッサン用のギリシャ彫刻石膏像。
それらはネットオークションや蚤の市で集められた”古物”たちで、名和さん自身が「移り変わる時代の網目に掬い出されたオブジェ」と語っています。
静物だけでなく、燃え続けるロウソクや、瑞々しい生花まで展示に取り込まれ、
量産品から職人技の工芸品まで幅広く網羅。
それぞれが新たな息吹を与えられ、生命感を漂わせていました。
さらに、表面処理にも注目。
植毛による苔のような質感、3Dスキャンを応用した造形技法などが施され、
本来の素材感や意味が揺らぎ、新たな存在へと生まれ変わっていました。












入ってすぐの場所で迎えてくれたのは、《PixCell》シリーズのたぬきでした。
後ろ向きにたたずむその姿は、どこか親しみを感じさせながらも、
無数の透明な球体に覆われ、細部が歪み、揺らぎ、
ただそこに存在する不思議な「気配」だけを放っていました。
たぬきという日本的なモチーフを、まるで異世界の生き物のように変貌させるこの作品。
見方によっては、たぬき自身が展示室全体を静かに見渡しているようにも感じられ、
訪れたわたしたちを「ものたちが目覚める世界」へといざなう存在に思えました。


なかでも心に強く刻まれたのは、
《Cells in the Grotto》。
ギャラリー正面奥に据えられたこの大型作品は、洞窟のような構造を持ち、
その表面は乾燥させて粉砕した粘土を泥状にして覆われ、ざらりとした荒々しい質感をたたえていました。
洞窟の内部や周囲には大小さまざまな透明の球体(ガラス球)が配置され、
その一つひとつの中には、フレーク状の雲母、結晶化した鉱物、青いフィルムでコーティングされたカブの種、ヒマラヤ岩塩、乾燥したヨモギなど、
自然と人工が交錯する様々なマテリアルが封じ込められていました。
近づくほどに、ひとつひとつの球体が小さな宇宙のように見えてきます。
まるで、地球の生態系や環境の危機を暗示するかのような、カオティックで神話的な光景。
私はこの作品の前でしばらく立ち尽くし、それぞれの球体に封じられた“小さな世界”に思いを馳せていました。



また、《Meat in a Cell》も強烈な印象を残しました。
一見、ガラスケースに収められた磨き上げられた鉱石のような作品。
しかし実は、その中身は生の肉塊。
この美とグロテスクのギャップが、まさにシュルレアリストの「異化効果」を彷彿とさせ、
一度目にしたら忘れられない強烈な記憶を植え付けてきます。
名和さんが大学時代に制作したプロトタイプを元にしたというこの作品は、
視覚と実体のズレが、観る者の認識を根底から揺さぶるものでした。

さらに、《Traveller’s Tree》にも強く心を惹かれました。
炭化ケイ素(シリコンカーバイド)の結晶で覆われた、古びた木製椅子。
そこに絡みつくのは、枯れた「旅人の木(タビビトノキ)」の枝葉たち。
硬質な結晶に沈み込むように椅子の脚はめり込み、
旅人の木の枝は、ねじれるように天へと伸び、乾いた生命力をなお放っています。
枯れてなお、伸びようとする植物の姿。
それを冷たく封じ込める無機の結晶。
有機と無機、生と死がせめぎ合うこの彫刻は、
まるで異世界の聖遺物のような静かな力強さをたたえていました。

まとめ
用途を失った古いオブジェたちが、名和晃平さんの手で意味と素材を組み替えられ、
時間や分類を超えた新たな存在へと目覚める――。
なかでも《Cells in the Grotto》は、
小さな命のカプセルが集まった一大生態系のような、壮大でありながら繊細な世界を現出させていました。
名和晃平「Sentient」展は、2025年7月12日まで、SCAI THE BATHHOUSEで開催中です。
静かに息づく「ものたち」の声に耳を澄ませる、そんな時間を過ごしてみてはいかがでしょうか。





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