【ノー・バウンダリーズ展|国立国際美術館】
― 境界を超えて“生きていること”を見つめ直す、現代美術の最前線




はじめに:ボルタンスキーの記憶とともに、美術館へ向かう
大阪・中之島の国立国際美術館で開催中の特別展「ノー・バウンダリーズ」。
そのテーマは、現代社会に存在するさまざまな“境界”。
国や民族、ジェンダー、記憶、時間、制度――。私たちは日々、目に見えない線に囲まれながら生きている。
今回この展覧会を訪れようと思ったのは、大好きな作家であるクリスチャン・ボルタンスキーの名を出品作家に見つけたから。
2023年に新潟で体験した《最後の教室》は、廃校の静けさのなかに無数の電球が吊るされたインスタレーションで、
「記憶とは消えていく光のようなものだ」と、強く感じさせてくれる空間だった。
そんなボルタンスキーの作品が、今回は「“境界”という視点」でどんなふうに立ち現れるのか。
その問いを胸に、美術館へと足を運んだ。




展覧会概要:「境界」を問い、「人間」を照らす53点の声
「ノー・バウンダリーズ」展は、国内外21名の現代作家による全53点の作品で構成される。
絵画、映像、彫刻、インスタレーション…形式も多様で、作品同士の“並び”が次々と視点を揺さぶる。
会場全体がまるで、ひとつの巨大な問いかけの場となっているかのようだ。









心を揺さぶった作品たち
● クリスチャン・ボルタンスキー《No Man’s Land》より関連作
今回展示されていた作品も、彼らしく「記憶」「匿名性」「不在」の力を空間全体で体現するようなインスタレーションだった。
名もなき人々の痕跡が、光や音を介して現れたり消えたりする中、私は自然と2023年に見た《最後の教室》を思い出していた。
“境界”とは、もしかすると「生と死のあわい」「記憶と忘却の間」に存在するものなのかもしれない――そんな静かな問いが、作品の前で生まれていた。

● ミン・ウォン《ライフ・オブ・イミテーション》(2009)
2チャンネル映像作品。ハリウッド映画『イミテーション・オブ・ライフ』を下敷きに、
シンガポールの主要3民族の俳優がジェンダーや人種を超えて演じることで、“演じること”そのものが境界を越える装置になることを実感させてくれる。
映像内のズレや違和感が、まさに“ずらされた視点”の重要性を際立たせていた。

● エヴェリン・タオチェン・ワン《トルコ人女性たちのブラックベリー》(2023)
油彩と石膏で描かれた重層的な画面。柔らかい筆致のなかに、どこか断絶された時間が流れている。
中国とオランダという出自、移民女性の視点から生まれる作品は、家庭的で親密な描写の奥に、文化的暴力の痕跡が刻まれている。
絵の中の女性たちは、まなざしを持ちながらも、声なき存在としてこちらを見返していた。

● アリン・ルンジャーン《246247596248914102516… そして誰もいなくなった》(2017)
タイトルが示す数字の羅列は、歴史的事件の記録と、作家自身の家族史とを重ね合わせたもの。
ヒトラーの側近とタイの民主化運動、そして父親のドイツ企業勤務という事実を一つの映像に束ねたこの作品は、歴史の“境界”を個人の中に引き寄せる力を持っていた。
見終えた後、しばらく立ち尽くしてしまった。

● 田島美加《アニマ11》(2022)
黒ガラスとブロンズを使った、しなやかで有機的な立体作品。
触れられそうで触れられない光沢の中に、身体性・記憶・テクノロジーといった現代的な問いが封じ込められている。
無機と有機の境界をやさしくほどいていくような佇まいが、とても印象的だった。


● ヴォルフガング・ティルマンス《アストロ・クラスト、a》(2012)
クリップで壁に留められた写真作品。日常の一瞬を切り取ったはずの風景が、レイアウトや配置によって“境界を消し去る”構成へと転化される。
ティルマンスの視点はいつも静かで、強い。見る者に「どこを見るか」を問い直させる力がある。

まとめ:作品と対峙することは、自分の中の“境界”を知ること
「ノー・バウンダリーズ」展は、単に“境界を超える”というスローガンではなく、
むしろ**「なぜそこに境界があるのか?」「その境界は誰のものなのか?」**という問いを、静かに投げかけてくる展覧会だった。
なかでもクリスチャン・ボルタンスキーの作品に再会できたことは、自分にとって大きな意味を持っていた。
彼の作品はいつも、鑑賞というよりも「記憶の共有」なのだと思う。
亡き人々の光を受け止めるように、作品の前でただ、しばし、立ち尽くす――そんな時間こそが、今という時代の“境界”を見つめ直すことなのだと感じた。










この世界には、まだ目に見えない“線”が無数にある。
でもその線は、私たちが見方を変えることで、きっと別のかたちに描き直すことができる。
そんな希望と問いを同時に残してくれる、誠実で静かな展覧会だった。


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