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2026年8月9日、日曜日の午前中。六本木ヒルズ森タワー53階、森美術館で開催中の「ロン・ミュエク」展を見てきました。

この展覧会、実は少し前から狙っていました。というのも本展は事前予約の日時指定制で、オンラインで枠を見にいくたびに、希望の時間帯がだいたい埋まっている。「まあ次の週末に」と先延ばしにしているうちに、また埋まる。そんなことを何度か繰り返して、ようやく取れたのがこの日の午前枠でした。

そして実際に行ってみて納得しました。午前中にもかかわらず、館内には多くの人。夏休みシーズンということもあったと思いますが、それを差し引いても、この展覧会が今どれだけ注目されているかがよく伝わってくる人の入りでした。

結論から言ってしまうと、行ってよかったです。圧倒的な大きさと、その大きさに一切妥協していない精密さ。まさに「リアル」という言葉がそのまま立っているような体験で、写真で見ていたときの印象とは、正直かなり違いました。この「違い」については記事の後半でじっくり書きます。

この記事では、展示されている全11点の彫刻作品を1点ずつ紹介したうえで、写真家ゴーティエ・ドゥブロンドによる関連作品、混雑の実感、チケットの取り方まで、実際に見てきた立場からまとめます。

「ロン・ミュエク」展とは?基本情報まとめ

まずは基本情報を整理しておきます。

項目内容
展覧会名ロン・ミュエク
会期2026年4月29日(水・祝)〜9月23日(水・祝)会期中無休
会場森美術館(六本木ヒルズ森タワー53階)
開館時間10:00〜22:00(火曜日のみ17:00まで/最終入館は閉館30分前)
料金(平日)一般2,300円、学生1,400円、シニア2,000円、中学生以下無料
料金(土日祝)一般2,500円、学生1,500円、シニア2,200円、中学生以下無料
入場方式事前予約制(日時指定券)
主催森美術館、カルティエ現代美術財団
出品点数彫刻11点(うち6点が日本初公開)+写真・映像作品

料金はいずれもオンライン購入だと200円安くなります。展望台とのセット券、AI音声ガイド付きチケットも用意されています。

なお8月8日から16日までは開館時間が9:00からに前倒しされているなど、時期によって開館時間が変動します。訪問前に公式の開館時間カレンダーを確認しておくと安心です。

日本でのロン・ミュエクの個展は、2008年に金沢21世紀美術館で開催された回顧展以来、2度目。実に18年ぶりの大規模個展ということになります。本展はカルティエ現代美術財団と作家との長年の関係から企画されたもので、2023年のパリを起点に、ミラノ、ソウルを経て東京へ巡回してきました。

ロン・ミュエクとはどんな作家?

ロン・ミュエクは1958年オーストラリア・メルボルン生まれ、1986年からイギリス在住の現代美術作家です。

面白いのは、彼が最初からアーティストだったわけではないという点です。映画・広告業界で20年以上働いたのち、1990年代半ばになってようやく彫刻の制作を始めています。特殊効果やモデル制作の現場で培われた技術が、あの尋常でないディテールの土台になっていると考えると腑に落ちます。

現代美術界へのデビューは1996年、ロンドンのヘイワード・ギャラリーでの展覧会。ポルトガル人画家パウラ・レゴの絵画とともに彫刻《ピノキオ》が展示されました。翌年には、他界した父を小さなサイズで表現した《死んだ父》が、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの「センセーション:サーチ・コレクションのヤング・ブリティッシュ・アーティスト」展に出品され、一気に注目を集めます。

そしてもうひとつ、知っておくと展覧会の見え方が変わる事実があります。ミュエクは1作品の制作に数ヵ月、長ければ数年をかける寡作の作家で、過去30年間に制作された作品の総数は50点程度しかありません。つまり本展の11点というのは、彼の全作品のおよそ5分の1にあたる規模なのです。この密度を1フロアで浴びられる機会は、そうそうありません。

全作品を1点ずつ紹介【彫刻11点】

ここからが本題です。出品作品リストの順に、1点ずつ見ていきます。

《枝を持つ女》2009年(日本初公開)

裸の女性が、大きく扱いにくい木の枝の束を、なんとか腕に抱えようとしている作品です。170×183×120センチ。

枝はまるで束ねられることを拒んでいるかのようにばらけ、女性は髪を振り乱し、体には引っかき傷が走っています。枝の先端が地面を引きずらないよう、体を反らせて必死にバランスを取っている。その姿勢の緊張が、造形からダイレクトに伝わってきます。

どこかおとぎ話や民話の一場面を思わせるのですが、なぜ裸なのか、この枝をどこへ運ぼうとしているのかという素朴な疑問に、作品は答えを与えてくれません。ミュエクは物語性を濃厚に漂わせながら、意味は意図的に曖昧なまま残す。鑑賞者それぞれが自分の物語を紡ぐよう仕向けられている、そんな作品です。

《イン・ベッド》2005年

本展でおそらく最も有名な作品です。長さ6.5メートル、幅約4メートル。巨大な中年女性が、ベッドに横たわっています。

やっていることは、平凡な日常のひとこまでしかありません。手であごを支え、上方を見つめているだけ。それなのに、そのスケールがすべてを変えてしまいます。モニュメントのような大きさに驚かされつつ、鑑賞者の目線の高さにちょうど彼女の顔がある。だからこそ、その表情をまじまじと見つめてしまう。不安なのか、憧れなのか、単なる物思いなのか。どうとでも解釈できるところに、この作品の底知れなさがあります。

そして重要なのは、彼女の視線の先に私たちが入ることは決してない、ということです。彼女は部屋の向こうの空虚を見つめ続けていて、こちらを見ることはない。だから私たちは、彼女と向き合うことなく、その細部をいくらでも凝視できてしまう。人間同士では絶対に成立しない関係が、そこに生まれています。

日本では、2006年に東京都現代美術館で開催された「カルティエ現代美術財団コレクション展」で展示され、その際のキービジュアルにも使われたため、画像を見たことがある方は多いはずです。

《若いカップル》2013年

10代の男女が寄り添って立っている、89×43×23センチの小さな作品です。身長にすると1メートルにも満たない。

正面から見ると、少年が少女に何かを打ち明けているように見えます。どこにでもいそうなティーンエイジャーの、初々しい一場面。ところが背後にまわると、見え方が一変します。彼は彼女の手を握っているのではなく、手首を無理やりつかんでいるように見えるのです。

この瞬間、二人の間に働いている力関係について考え込まされます。物語は例によって曖昧なままですが、不穏な空気だけが確実に残る。

ミュエクの二人組の作品では、鑑賞者は必ず第三者としてその関係に引き込まれます。しかもスケールが縮小されていることで、その効果はさらに強まる。大人が見れば、兄姉や親のような立場でこの小さなカップルの行く末を案じ、少女のために何かしなければと思うかもしれません。若い人が見れば、身近な関係の複雑さを自分ごととして受け止めるかもしれない。同じ作品が、見る人の年齢で違う顔を見せてきます。

《ゴースト》1998/2014年

水着姿の10代の女性が、壁にもたれかかっています。202×65×99センチ。身長にして約2メートルと、等身大よりもひとまわり大きい。

両腕を体の横に垂らし、拳を握りしめ、頭を前に傾けて横を向いている。明確に、鑑賞者の視線を避けています。思春期を迎えて自意識が芽生えた少女が、急速に変化していく自分の心と体に対して感じている、恥ずかしさと気まずさ。表情からは、彼女が極端に内気であること、少し怯えてすらいることが読み取れます。

そして脚が極端に細長く、足も実際の人間とは思えないほど大きく造形されている。この違和感が効いていて、見ているうちに「これは本当に人間の姿なのだろうか」という感覚がじわじわとせり上がってきます。タイトルの「ゴースト」が、単なる比喩に思えなくなってくる。

本作は1998年に最初のバージョンが制作され、まもなくロンドンのテートに収蔵されました。本展で展示されているのは2014年に改めて制作されたアーティスト・プルーフで、型からゼロで作り直されたものです。同じテーマを16年後に追求し直した結果、ディテールや表情はかなり異なるものになったといいます。

《エンジェル》1997年(日本初公開)

背中に大きな翼を持つ男性が、スツールに腰かけている。110×87×81センチ。ミュエクの初期の代表作です。

この作品が日本で公開されるのは今回が初めてで、本展の目玉のひとつと言っていい存在です。1997年の「センセーション」展のニューヨーク巡回(ブルックリン美術館、1999〜2000年)でも展示された作品でもあります。

着想源は絵画でした。ミュエクはロンドンのナショナル・ギャラリーで、18世紀イタリアの画家ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロによる《ヴィーナスと時間の寓意》を目にします。この絵でヴィーナスとともに描かれているのは、「時間」を象徴する翼を持った年老いた男性。ミュエクはそこから本作を立ち上げました。

出来上がったのは、一般的な天使のイメージとはまるで違う姿です。人間の体と比べると小さく、俯いて、どこか悲しげに物思いにふけっている。翼があるのに、飛べる気配がまるでない。神々しさよりも、疲れと憂いのほうが先に伝わってきます。

《ダーク・プレイス》2018年(日本初公開)

中年男性の頭部が、暗闇の中に浮かび上がっている作品です。140×90×75センチ。

ミュエクは照明で作品の感情的な質感を強調する作家ですが、本作では作品を包む暗闇そのものが作品の一部になっています。暗い入口から中に入ると、静寂の闇に包まれ、この男性の内面世界に引きずり込まれていく。

面白いのは、鑑賞者が入口に留まるしかなく、彫刻の周囲を歩き回れないという構造です。他の作品なら当たり前にできる「ぐるりと回ってディテールを確認する」という行為が、ここでは封じられている。表面の細部ではなく、感情の深いところを探れ、と作家に誘導されている感覚があります。

制作の経緯にも逸話があります。当初ミュエクは、大作《マスク》(1997年)と、眠る自身を表した《マスクII》(2002年、本展出展作)に続く自画像として本作を構想していました。ところが制作の参考写真を撮るためにある男性がスタジオを訪れたとき、その顔に浮かんだ苦悩の激しさに深く心を動かされ、彼を主題に据えることへ変更したのだそうです。

《舟の中の男》2002年

中年男性が全裸で、古びたボートの船首に座っています。159×138×425.5センチ。

オールは持っていません。どこか別の場所から漂流してきたことは明らかですが、なぜ裸なのか、どこへ向かっているのかは謎のままです。私たちが彼の世界に漂い込んだのか、彼が私たちの世界に漂い込んできたのか。

船体が、彼を隔離する境界として機能しているのがよくわかります。同じ空間にいるのに、私たちにはその航海を止めることも、前方の何かを見ようと首を伸ばす彼の注意を引くこともできない。彼は明らかに不安を抱えていますが、同時に、人生という旅がこちらの都合とは無関係に進んでいくという気配も漂います。

背景として押さえておきたいのが、2000年から2002年にかけてミュエクがロンドンのナショナル・ギャラリーで「アソシエイト・アーティスト」を務めていたことです。同館の収蔵品を綿密に調査できる立場にあったこの時期、彼の作品には「誕生」と「母性」というテーマが色濃く現れます。とりわけディエゴ・ベラスケスの《無原罪の御宿り》(1618-1619年)に小さな船が描かれていること、そしてそれがキリストを宿す聖母を船に喩えた象徴であることを発見したミュエクは、大いに喜んで自作に取り入れたといいます。

《チキン/マン》2019年(日本初公開)

下着姿の老人がテーブルの前に座り、一羽の鶏と対峙している。86×140×80センチ。奇妙、としか言いようのない光景です。

二人(と言っていいのか)は無言ですが、明らかに緊張した関係にあります。前のめりになった老人は手を握りしめ、わずかに口を開き、困惑と警戒心をあらわにしている。一方の鶏は静止したまま鋭い視線を向け、いつでも逃げ出せる構えを崩していない。

いったい何が起きているのか、何が起きようとしているのかは、いっさい説明されません。だからこそ想像力が掻き立てられます。実物より小さいスケールで作られているのも効いていて、覗き込むように見ることで、こちらがその世界の内側に引き込まれていく。

ニュージーランドのクライストチャーチ・アートギャラリー/テ・プナ・オ・ワイウェトゥのために制作された作品で、本展ではその制作過程を追った同名の映像作品も併せて展示されています。

《買い物中の女》2013年(日本初公開)

ひとりの母親の像です。113×46×30センチと、実寸よりも小さく作られています。

両手は重い買い物袋で塞がっていて、コートの懐には赤ん坊を抱えている。その姿は一切美化されていません。疲れ果てた表情から、日々の責任の重さに押しつぶされそうになっている日常が、そのまま読み取れます。小さく作られていることで、その疲労感や脆さがかえって際立つ。そして母親の視線は遠くに向けられていて、赤ん坊とも鑑賞者とも交わることがありません。

構図としては、西洋美術史の定番である「聖母子像」の現代的な解釈と読むこともできます。ただし実際の制作のきっかけは、もっと日常的なものでした。ロンドン北部のスタジオ近くの交差点で、オレンジ色の買い物袋を提げ赤ん坊を抱えて信号待ちをする母親の姿を目にしたミュエクが、駐車券の裏にスケッチしたことから始まったのだそうです。大都市の日常に埋もれた切ない光景が、そのまま彫刻になっています。

《マスクⅡ》2002年

眠りに落ちた作家自身の顔を、約4倍の大きさで表現した作品です。77×118×85センチ。台座に載せられています。

重力で顔が弛み、わずかに開いた口からは、いまにも寝息が聞こえてきそうです。ところが背面は空洞になっている。この男性は存在しているのか、していないのか。同様に、本物の仮面であれば顔が弛むはずはないわけで、これは人間の顔なのか仮面なのか、という疑問も湧いてきます。

現実と非現実の絶妙なバランスというミュエク作品の核心が、いちばん端的に現れている作品と言っていいと思います。タイトルについても、文字通り「これはマスクである」という事実を示しているだけなのか、あるいは自分の顔立ちをリアルに捉えた実像のようでいて所詮は作家が作り上げた虚構の自己像にすぎない、と暗に示しているのか。解釈の余地が残されています。

《マス》2016-2017年(日本初公開)

本展のスケール面での主役です。巨大な頭蓋骨の彫刻100点で構成されたインスタレーションで、サイズは可変。作家が展示空間ごとに配置を作り上げるため、森美術館での姿はここでしか見ることができません。

2017年にオーストラリア・メルボルンで発表されて以来、会場ごとに異なる形で展開されてきた作品です。鑑賞者は頭蓋骨そのものの形状の複雑さを間近で目の当たりにしながら、時間をかけてその中を歩き回ることになります。歩いているうちに、この圧倒的な物量が持つ存在感について考えざるを得なくなる。

頭蓋骨という主題は、「メメント・モリ」(死を忘れるな)というラテン語起源の思想とともに、西洋美術史で繰り返し登場してきたモチーフです。同時に医学や解剖学、考古学を想起させ、現代のポピュラーカルチャーでも頻繁に使われる、きわめて普遍的な記号でもあります。

タイトルの「マス(Mass)」には、山のように積み重なったもの、大量のものや集団、そしてカトリック教会のミサと、複数の意味が重ねられています。100点それぞれ色合いとディテールが異なっていて、これが個々人の集合体であることを示唆している。けれども彼らが誰だったのかを知る手がかりはどこにもなく、ただ集団として迫ってくる。この設計が見事です。

ミュエク自身、人間の頭蓋骨は多義的な物体であり、見慣れたものでありながら奇異でもあり、拒絶しつつ同時に惹きつけられる、無視できない対象なのだと語っています。

ゴーティエ・ドゥブロンドによる写真・映像作品

彫刻11点に加えて、本展にはフランスの写真家・映画監督ゴーティエ・ドゥブロンドによる関連作品が展示されています。

写真作品は2シリーズ。ロンドン時代のスタジオを記録した《ロン・ミュエクのスタジオ、ロンドン、2005-2013》と、ベントナーのスタジオを記録した《ロン・ミュエクのスタジオ、ベントナー、2019-2023》で、いずれも80×100センチのCプリント8点組です。

映像作品も2本あります。制作中のミュエクを追った《スティル・ライフ:制作中のロン・ミュエク》(2013年、48分)と、《チキン/マン》の制作を記録した同名の映像作品(2019-2025年、13分)です。

これらは単なるおまけではありません。ミュエクの彫刻がどのように生み出されるのかを明らかにするパートで、あの尋常でない精度がどれだけの時間と手作業の積み重ねから来ているのかが具体的に見えてきます。48分の映像は腰を据えて見る必要があるので、時間に余裕を持って行くことをおすすめします。

十和田市現代美術館《スタンディング・ウーマン》を見ていたからこそ

私がこの展覧会をどうしても見たかったのには、理由があります。

以前、青森県の十和田市現代美術館で、ロン・ミュエクの《スタンディング・ウーマン》を見たことがあったからです。同館の常設展示作品で、館のシンボル的存在にもなっている高さ約4メートルの女性像。あれを一度体験してしまうと、「この作家の作品を、もっとまとめて見てみたい」と思わずにはいられません。今回の森美術館での個展は、まさにその機会でした。

そして実際に見て、改めて確信したことがあります。ミュエクの作品は、写真で見るのと、その場で直接見るのとでは、印象がかなり違うということです。

写真で見ると、どうしても「よくできた精巧な人形」という情報として処理されてしまいます。ところが実物の前に立つと、まず大きさが身体的な感覚として襲ってくる。自分の身体と作品の身体の比率が狂っているという事実を、頭ではなく体で受け取ることになります。そのうえで近づくと、その巨大なスケールのどこにも手抜きがない。皮膚の質感も、産毛も、血管の透け方も、大きさに引き延ばされて雑になるどころか、むしろ精度が上がっているように見える。

この「圧倒的な大きさ」と「異常な精密さ」が同時に成立している状態は、画像では絶対に伝わりません。逆に言えば、この展覧会は行かないと意味がないタイプの展覧会です。図録や写真を見て満足するのがいちばんもったいない。

混雑状況とチケットの取り方

冒頭にも書いた通り、本展は事前予約制の日時指定券が導入されています。

私の実感として、オンラインで枠を確認すると、人気の時間帯はかなり埋まっていることが多いです。特に土日祝と、夕方以降の枠は取りにくい印象でした。訪問した8月9日の日曜午前も館内は混雑していて、ゆったり独占して見るという雰囲気ではありませんでした。

とはいえ、日時指定枠に空きがある場合は当日窓口でもチケットを購入できます。確実に見たい場合は、やはり早めのオンライン予約が安心です。

混雑を避けるという意味では、以下がポイントになります。

  • 平日を狙う。料金も土日祝より200円安くなります
  • 森美術館は22時まで開館しているので、平日の夜間帯という選択肢がある(火曜日のみ17時まで)
  • 会期末の9月に近づくほど混雑が増すと考えられるため、動くなら早いほうがよい
  • 時期によって開館時間が変わるので、公式の開館時間カレンダーを事前に確認する

チケットは森美術館のオンラインチケットのほか、複数の販売サイトで扱われています。展望台とのセット券、AI音声ガイド付きチケットもあるので、目的に合わせて選ぶとよいと思います。

よくある質問

所要時間はどれくらい?

彫刻11点に加え、写真作品16点と映像作品2本があります。映像だけで48分と13分。彫刻をじっくり見るなら1時間から1時間半、映像作品も含めてしっかり見るなら2時間以上は見ておきたいところです。特に《マス》は歩き回って見る作品なので、ここで時間を使うことになります。

アートに詳しくなくても楽しめる?

楽しめます。というより、予備知識ゼロのほうが衝撃が大きいかもしれません。「本物にしか見えないのに、サイズがおかしい」という感覚は、美術史の知識とは無関係に伝わってきます。そのうえで各作品の背景を知ると、二重に楽しめる構成になっています。

日本初公開の作品はどれ?

《エンジェル》《ダーク・プレイス》《チキン/マン》《買い物中の女》《枝を持つ女》《マス》の6点です。特に初期の代表作《エンジェル》は、次にいつ日本で見られるかわからない貴重な機会と言えます。

なぜ11点しかないの?

ミュエクは1作品に数ヵ月から数年をかける寡作の作家で、過去30年間の作品総数が50点程度しかありません。11点というのは、その約5分の1にあたります。点数が少ないのではなく、密度が異常に高いと考えるほうが正確です。

森美術館以外でミュエク作品を見られる場所は?

日本では、青森県の十和田市現代美術館に《スタンディング・ウーマン》(2007年)が常設展示されています。本展を見て興味を持った方には、こちらもおすすめです。

まとめ

森美術館の「ロン・ミュエク」展は、2026年9月23日まで開催されています。日本では18年ぶりとなる大規模個展で、寡作の作家の全作品のおよそ5分の1にあたる11点が一堂に会し、そのうち6点は日本初公開。この条件が次に揃うのがいつになるのか、正直、見当もつきません。

日時指定制で人気の枠は埋まりやすいので、行くと決めたら早めに予約するのが得策です。そして繰り返しになりますが、この展覧会は写真では絶対に代替できません。あの大きさと精密さが同時に迫ってくる感覚は、53階のフロアに実際に立ってみないと手に入らないものです。

会期は9月23日まで。まだ間に合います。

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