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導入

訪問日:2025年8月17日
会場名:豊島(瀬戸内国際芸術祭2025・夏会期/全9回シリーズ最終回)

9回にわたって綴ってきた瀬戸内国際芸術祭2025の記事も、いよいよ今回が最終回となる。最後の訪問地に選んだのは、私にとって特別な意味を持つ豊島だった。2022年に初めて巡った際、豊島美術館で感じた「時間の流れが柔らかく変わるような感覚」は今も鮮明であり、この島は常に“再訪したい場所”として心に残り続けていた。そして今回は、念願だった塩田千春の新作《線の記憶》にも出会い、芸術祭全体を締めくくるにふさわしい深い余韻を得ることができた。

会場全体の印象

豊島は「家浦」「唐櫃」「甲生」という三つのエリアに分かれ、集落ごとに異なる表情を持つ。かつて産業廃棄物問題を抱えながらも再生を遂げ、現在では自然とアートが共鳴する“静寂の島”として世界に知られるようになった。
この日も多くの人々が訪れていたが、不思議と雑音は聞こえず、耳に届くのは風の音や鳥のさえずりだけ。誰もが声を潜め、自分自身と作品、そして自然との対話に没入しているように感じられた。

各作品紹介

《線の記憶》(塩田千春)

内容:島の人々から寄せられた「もういらないけれど捨てられないもの」としての素麺製造機3台を、赤い糸で空間全体と編み込むインスタレーション。生活の痕跡を「記憶の線」として未来へつなぐ試み。
設置場所:甲生地区の古民家。
制作年:2025年。
体験:長年各地で塩田作品を追いかけてきたが、この作品に触れたとき、時間が赤い糸の張力となって目の前に広がるのを感じた。過去と現在、個人と共同体が交錯する場に立ち会った実感が、静かな震えとして胸に残った。

《国境を越えて・祈り》(リン・シュンロン/林舜龍)

内容:甲生の海辺に設置された子どもの像たちが、胸に手を当てて祈る姿で並ぶ。像の向きや配置は各国の首都の方角と距離を示し、水平線に向けて「祈り」が放たれるように設計されている。
制作年:2025年。
体験:一体ごとにわずかに異なる仕草が、匿名性のなかに個を浮かび上がらせる。波音に包まれながらその場に立ち尽くすと、言葉ではなく姿勢そのものが祈りであると深く理解できた。

《豊島美術館》(内藤礼+西沢立衛)

内容:唐櫃の棚田に寄り添うように建つシェル構造の建築。柱はなく、天井に穿たれた二つの開口部から光・風・音が流れ込み、内藤礼の作品《Matrix》(2010)が自然と呼応する。床に湧き出す水滴が粒となり、ゆっくりと流れをつくる様は、時間そのものが作品に姿を変えたようだ。
制作年:2010年。
体験(最終稿):人の気配は確かにあったのに、声はどこにも響かず、ただ静けさだけが広がっていた。まるで島そのものが大きな器となり、私たち一人ひとりを包み込んでいるようだった。2022年に初めて覚えた「時間の流れが柔らかく変わる感覚」は、2025年の今も確かにそこにあり、より深い余韻を伴って私を受け止めてくれた。

《心臓音のアーカイブ》(クリスチャン・ボルタンスキー)

内容:世界中の人々の心臓音を収集・保存・再生するために設計された施設。聴取室・録音室・展示室で構成され、来訪者は自らの鼓動を録音し、アーカイブに残すことができる。
設置場所:唐櫃浜。
制作年:2010年。
体験:暗闇で心臓音に同期して灯が明滅すると、自分の存在が音と光に還元される感覚が訪れる。私は新潟・越後妻有の《最後の教室》で受けた衝撃を今も忘れられないが、ここではその記憶がよりミニマルな形で再現され、ただ「生きている」という事実だけが心に突き刺さった。

《豊島横尾館》(横尾忠則)

内容:築100年以上の古民家を建築家・永山祐子が改修し、横尾忠則の作品を配置した美術館。赤と黒のガラスが差し込む光を変化させ、屋内外に点在するインスタレーションが「日常と非日常」の境界を際立たせる。
設置場所:家浦地区。港から歩いて数分の集落内。
制作年/開館:2013年。
体験:赤いガラス越しの景色が現実を一瞬異界に変え、視覚の切り替わりに自分の存在が揺らぐ。建物と作品が呼応する瞬間を体感し、横尾ワールドの強烈さと静けさの共存に圧倒された。

巡って感じたこと

豊島は「鑑賞する島」ではなく、「共に沈黙を体験する島」だと感じた。横尾忠則の世界観に触れて境界の揺らぎを味わい、豊島美術館で柔らかく変化する時間を再び確かめ、ボルタンスキーの心臓音に生命の鼓動を聴いた。さらに甲生では、林舜龍と塩田千春がそれぞれの方法で祈りと記憶を空間化し、自然と重ね合わせていた。喧騒のない共鳴が、島全体に広がっていた。

まとめ(連載最終回)

全9回にわたり巡ってきた瀬戸内国際芸術祭2025。その締めくくりとして訪れた豊島は、やはり特別な場所だった。ここには、何度でも立ち返りたくなる静けさがある。記事としては一区切りを迎えるが、私自身の瀬戸内の旅はまだ終わらない。次に訪れるときもまた、この島の静寂に身を委ね、自分自身を確かめたいと思う。

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