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兵庫県 廣田神社

【廣田神社の御祭神と創祀】

廣田神社は、神功皇后が創建し、その御祭神として天照大御神の荒御魂が鎮座しています。また、その御脇殿には、住吉大神、八幡大神、諏訪建御名方大神、高皇産霊大神が祀られており、古くから廣田五社と称されていました。これらの神々は、古代から国家の安泰や繁栄、人々の幸せを守り続けてきたとされています。

【神社創祀の概略】

廣田神社は、神功皇后によって西暦201年に創建されました。神功皇后は、神話に語られる天照大御神の神託を受け、皇子(第15代應神天皇)をご懐妊し、安産を守り、建国初の海外遠征に大勝利を授けられました。その後、神功皇后は帰途につく途中、武庫の地・廣田の国(現在の芦屋・西宮から尼崎西部)で天照大御神の荒魂を鎮め祭りました。これが、兵庫県第一の古社である廣田神社の創祀の始まりです。

【廣田神社の御沿革】

廣田神社は、古代から中世にかけて、国家鎮護・天地自然・立身出世・武運長久の御霊験があるとされ、官幣名神大社として全国的に崇敬されました。伊勢神宮とのつながりも深く、兵庫県下第一の御社格を持ち、中世には「西宮参拝」と称されていました。そのため、歴代の神祇官長官や公家、五山の僧侶たちが参詣し、物語や和歌、今様、漢詩にその痕跡が残されています。

また、廣田神社は、源頼朝や豊臣秀頼、徳川吉宗などの武家からも篤い崇敬を受けていました。源頼朝は平氏討伐を祈願し、淡路・広田荘を寄進。豊臣秀頼は慶長9年(1604年)に大規模な改築を行い、末社・戎社(現在の西宮戎神社)も含まれました。徳川吉宗は現在の地に遷宮を行いました。

明治4年(1871年)には兵庫県内で唯一、最高位の官幣大社に列せられました。御社殿は、伊勢神宮戦後初の式年遷宮にあたり、荒祭宮(あらまつりのみや)旧社殿の譲与を受け、昭和31~38年(1956~1963年)に神明造で造営がなされました。

平成13年(2001年)には、御鎮座1800年の喜節を迎え、天皇陛下よりの御幣帛を奉って式年祭・奉幣奉祝祭が行われました。悠久の歴史と高貴な社格、深遠な由緒を有する廣田神社は、日本全国の10万社を代表する1社です。

【まとめ】

廣田神社は、古代から中世にかけて、国家鎮護・天地自然・立身出世・武運長久の御霊験があるとされ、歴代の神祇官長官や公家、五山の僧侶たち、源頼朝や豊臣秀頼、徳川吉宗などの武家からも篤い崇敬を受けてきました。その歴史と由緒ある廣田神社は、今も多くの人々に愛され、パワースポットとして訪れる人々で賑わっています。ぜひ、廣田神社の神秘に包まれた空間で、自分自身の心身を癒し、また新たなエネルギーを感じてみてください。

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