多度大社 三重県桑名市多度町に根づく山の信仰と馬の神事



【導入】
訪問日は2025年12月13日。多度山の麓に広がる境内には、冬に入ったばかりの冷たい空気が溜まり、朝の光は木立の間を低く差し込んでいました。遠くで車の音が途切れ、参道では玉砂利を踏む音だけが一定の間隔で続いています。境内全体は広く、視界の奥には常に山の稜線があり、風は山側からゆっくりと流れていました。






【基本情報】
所在地は三重県桑名市多度町多度。御祭神は天津彦根命と、相殿に面足命、惶根命を祀ります。創建の正確な年代は不詳ですが、古くから多度山を神体とする信仰がこの地にあり、文献上では平安時代にはすでに朝廷や伊勢国との関係が確認されています。中世以降は伊勢国北部を代表する神社として位置づけられ、近世には尾張藩との関わりも深まりました。近代社格制度においては国幣大社に列せられ、伊勢神宮との歴史的な結びつきから「北伊勢大神宮」とも称されてきました。







【歴史的背景と信仰】
多度大社の信仰は、多度山そのものと切り離せません。濃尾平野の西端に立ち上がる多度山は、平野部から見上げる形で存在し、洪水や風水害の多かった地域において、常に目印となる場所でした。山麓から湧き出る水は農耕に用いられ、木材や山の恵みは生活を支えてきました。人々は山を越え、麓を行き来し、その途中で神に手を合わせる行為を繰り返してきました。特定の時代の権力者によって突然広まった信仰ではなく、日々の移動と作業の中で積み重なった参拝の回数が、この社の歴史を形づくっています。





【多度大社の特徴】
多度大社を語る際、必ず触れられるのが上げ馬神事です。この神事は毎年春に行われ、急勾配の坂を馬が駆け上がる姿が知られています。映像や写真では競技的な側面が強調されがちですが、もともとは農作物の出来を占う行為として、村々の生活と密接に結びついていました。馬は移動と労働の要であり、その馬が坂を越えるかどうかは、その年の作業の見通しと重ねて受け止められてきました。危険性や迫力だけが語られることもありますが、当時の人々にとっては日常の延長にある行為でした。



【なぜパワースポットと捉えられてきたのか】
多度大社がそのように呼ばれる背景には、山と平野の境目という立地があります。平野を抜けて山に入る直前に社があり、行きと帰りの両方で目に入ります。農作業や商いの往復、伊勢へ向かう道の途中で、何度も同じ場所を通ることで、記憶に刻まれていきました。特別な体験よりも、繰り返し訪れる回数が印象を強め、その積み重ねが場所への信頼感を生んできました。結果として、人々の間で特別な場所として語られるようになり、現代ではその言葉でまとめられることがあります。


【まとめ】
多度大社は、何かを一度で得るための場所ではありません。山の麓を通り、同じ参道を何度も歩き、季節ごとに違う光と風に触れる中で、時間を重ねてきた場所です。農作業の始まりや終わり、旅の途中、生活の節目に立ち寄られ、その都度静かに向き合われてきました。境内で過ごす時間は短くても、山と平野の間に立つ感覚が残り、次に訪れる理由を自然に用意してくれる神社です。

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