【坐摩神社】坐摩神社:驚くべき歴史とその御神徳について
大阪府 大阪市
坐摩神社(いかすりじんじゃ)は、生井神(いくいのかみ)、福井神(さくいのかみ)、綱長井神(つながいのかみ)、阿須波神(あすはのかみ)、波比岐神(はひきのかみ)という5柱の神々を総称して、坐摩大神(いかすりのおおかみ)と呼ばれています。神武天皇が即位された際に御神勅により宮中に奉斎されたのが始まりとされ、坐摩の語源は土地や居住地を守る意味の居所知が転じたものと言われています。
御神徳として、住居守護、旅行安全、安産守護の神として広く信仰を集めています。坐摩神社は宮域を守る神であることから、住居守護の神として篤く奉斎されています。また、行路の安全を守る旅行安全の神としても知られ、萬葉集にも防人が旅立ちに際して坐摩神に行路の安全を祈願した歌が詠まれています。
安産の神としては、神功皇后が応神天皇の御安産を当社に御祈願になり、明治天皇がお生まれになる際にも宮中より御祈願があり、秋季大祭当日に皇子が誕生しました。
坐摩神社の創祀には諸説がありますが、神功皇后が新羅より御帰還の折、淀川南岸の大江、田蓑島のちの渡辺の地(現在の天満橋の西方、石町付近)に奉祀されたのが始まりとされています。平安時代の「延喜式」には攝津國西成郡の唯一の大社と記され、産土神として今日に至っています。
また、朱雀天皇の御代、天慶2年(939)以来祈雨11社中に列し、以後たびたび祈雨(雨乞い)のご祈請・奉幣に預かりました。天正10年(1582)豊臣秀吉の大坂築城に伴い、替地を命じられ、寛永年間に現在地へ遷座されました。現在の鎮座地名を渡辺と称するのも、元の地名が移されたもので、全国の渡辺・渡部等の姓の発祥の地でもあります。旧社地と伝えられる石町には現在も当社の行宮(御旅所)が鎮座されています。
明治元年(1868)の明治天皇大阪行幸の際には当社に御親拝なされ、相撲を天覧されました。昭和11年(1936)官幣中社に列せられた際に御造営された壮麗な御社殿は、昭和34年(1959)に鉄筋コンクリート造で戦前の姿のままに復興されました。
御神紋としては、鷺丸(さぎまる)が用いられています。御神紋の白鷺は当社古来のものであり、その由来は神功皇后が坐摩神の御教えにより、摂津の国・大江の岸の田蓑島(現在の天満橋付近)の松枝に白鷺の群がる所を選び、坐摩神を奉斎なされたというご由緒によります。
坐摩神社は、住居守護、旅行安全、安産守護といった多くの御神徳を持つことから、古くから多くの人々に信仰されてきました。また、歴史的なエピソードや御神紋に関する話も興味深いものがあります。ぜひ、坐摩神社を訪れてその歴史と御神徳を体感してみてください。
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