白笹稲荷神社 秦野今泉に続いてきた平地の稲荷信仰


【導入】
訪問日は2025年12月22日、冬至の日の午後でした。境内に入ると、低い位置から差し込む光が鳥居の朱をやわらかく照らし、影が足元に長く伸びていました。風はほとんどなく、紙垂の揺れも最小限で、社前には日常の音が自然に遠のく静けさが保たれていました。




【基本情報】
所在地
神奈川県秦野市今泉
御祭神
宇迦之御魂神
大宮能売神
猿田彦神
創建・由緒
創建年は不詳とされています。社伝では、この地に根づいた稲作とともに稲荷信仰が祀られたことに始まるとされます。中世以前から小祠として祀られていたと伝えられ、江戸時代には周辺村落の鎮守として信仰が定着したと考えられています。
社格や歴史的な位置づけ
近代社格制度では村社に列せられました。秦野盆地の東縁に位置し、農村部と街道沿いの生活圏が重なる場所で信仰を維持してきた神社です。


【歴史的背景と信仰】
白笹稲荷神社が鎮座する今泉は、秦野盆地の扇状地末端にあたります。水はけの良い地形と、周辺に点在する湧水によって、古くから農耕が営まれてきました。田の管理や収穫の成否は、暮らしの安定に直結しており、稲作に関わる祈りは日々の生活と切り離せないものでした。
この神社の信仰は、特定の領主や有力者によって整えられたものではありません。集落ごとに祠を守り、年ごとの祭礼や折々の参拝を重ねる中で、社地と信仰の形が整えられてきました。江戸時代になると、大山詣の道筋とも重なり、農民に限らず、街道を行き交う人々も参拝するようになります。生活の延長として立ち寄る行為が続き、信仰は途切れることなく受け継がれてきました。




【白笹稲荷神社の特徴】
境内に連なる朱色の鳥居は、一度に造営されたものではありません。奉納が重ねられた結果として現在の姿があります。数の多さが語られることもありますが、視覚的な演出を目的としたものではなく、時間の経過がそのまま形として残ったものです。
社殿は山中や高所ではなく、平地に設けられています。生活圏の中にあり、日常の動線上で手を合わせることが前提とされてきました。拝殿内部には天井画の龍が描かれていますが、これは社殿に入らなければ目に入りません。参拝の流れの中で偶然に出会う要素として存在しており、特別な説明や強調を伴わずに今日まで伝えられてきました。
狐像や鳥居といった稲荷信仰の象徴が前面に出る一方で、この神社では社殿の使われ方や配置そのものが、長く続いてきた参拝の形を物語っています。





【なぜパワースポットと捉えられてきたのか】
白笹稲荷神社がそのように呼ばれる背景には、地形と人の行為の積み重ねがあります。盆地に開けた平地、水に恵まれた環境、街道に近い立地。人が集まり、通り過ぎ、再び戻ってくる条件が揃っていました。
鳥居をくぐり、社前で立ち止まり、節目ごとに同じ動作を繰り返す。その行為が世代を超えて続いたことで、この場所は自然と記憶に刻まれていきました。特別な出来事があったからではなく、変わらない動線と参拝が続いた結果として、そう受け止められてきた場所です。




【まとめ】
白笹稲荷神社は、何かを得るために訪れる場というより、暮らしの区切りや年の節目に向き合われてきた場所です。平地にあり、社殿に入り、天井を見上げるという行為もまた、参拝を日常から切り離さないための形として受け継がれてきました。
冬至の午後、光が傾く時間帯に境内を歩くと、昼と夜の境目に立つ感覚が生まれます。長く続いてきた信仰は、そうした時間の移ろいとともに、人々の生活の中に静かに留まり続けています。

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