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島根県 太田市

物部神社とは、石見一宮として知られる古来より文武両道の神・鎮魂の神・勝運の神として崇敬されてきた神社です。神職の始めを為す神として占い・まじない・祈祷の神の信仰も厚く、多種多様の祈祷が為されることで有名です。物部神社には、御祭神宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)が祀られており、物部氏の御祖神として知られています。

物部神社の御神徳は非常に多岐にわたっています。戦国時代の石見銀山争奪戦の舞台ともなったことから、大内氏・毛利氏の戦勝祈願の記録や武具の奉納が残っており、現在でも病気平癒・交通安全・社業繁栄・厄除け・初宮詣で等、全ての祈願依頼に対応しています。また、遠方のため参拝困難な方や体の不調のため来られない方のために、郵送やFAXによる祈祷も受け付けています。

物部神社の御由緒は、御祭神宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)が、物部氏の御祖神として語り継がれています。御祭神の父神である饒速日命(にぎはやひのみこと)は十種神宝を奉じ、天磐舟に乗って大和国哮峯に天降り、御炊屋姫命(みかしきやひめみのみこと)を娶られ御祭神を生まれました。御祭神は父神の遺業を継いで国土開拓に尽くされました。

また、物部神社の社殿創建には、天皇の勅命により継体天皇八年(513年)に創建されたとされています。その後、石見銀山争奪の兵火などで三度消失しましたが、宝暦三年(1753年)に再建され、文政元年(1818年)の修理を経て、安政三年(1856年)に宝暦時の規模で改修され、現在に至っています。現在の社殿は県指定文化財であり、春日造では全国一の規模を誇ります。

物部神社の御神紋は、「ひおい鶴」です。御祭神「宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)」は石東の地を平和な豊かな地域とするため、鶴に乗って御降臨されました。その山を鶴降山といい、山頂には今も国見をされた場所と伝えられる遺跡が保存されています。この国見をされたおり、平和な穏やかな里「安濃郡(旧 大田地方)」と名づけられました。この鶴に乗って勝運を運んできた神にちなんで真っ赤な太陽を背負った鶴を全国で唯一この物部神社の御神紋と定められました。

物部神社は、石見一宮として多くの人々から信仰を集めてきた歴史ある神社です。その御神徳は多岐にわたり、現在でも病気平癒・交通安全・社業繁栄・厄除け・初宮詣でなどの祈願が行われています。また、遠方や体調不良で参拝が難しい方には郵送やFAXによる祈祷も対応しており、多くの人々の願いを叶えてきました。物部神社を訪れた際には、その歴史と御神徳に触れ、祈りを捧げることで心身ともに癒されることでしょう。

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