【三保神社】三保神社:事代主神(えびす様)の総本宮を訪れて、海上安全や商売繁盛の神様に手を合わせよう
島根県 松江市
三保神社は、事代主神(えびす様)の総本宮であり、母神である三穂津姫命と共にお祀りされている古大社です。出雲大社と共に参詣するのが一般的で、両社を参拝することが「片参り」として古くから言われています。また、四月七日に行われる青柴垣神事や十二月三日に行われる諸手船神事は、海上神事として全国的に珍しく、多くの見物客が集まります。
三保神社の本殿は、文化十年(1813年)に建てられたもので、二殿連棟の特殊な形式である比翼大社造りまたは美保造りと呼ばれ、国の有形文化財に指定されています。また、宝物庫には諸手船やそりこ船が展示されており、奉納鳴物数百点と共に国の重要民俗資料となっています。
祭神は、海上安全、大漁満足、五穀豊穣、商売繁盛の守り神として全国的に崇敬を集めており、出雲大社のみの参詣は「片参り」と昔から言われていました。出雲大社参詣の際には、必ず美保神社へもお参りする習わしとなっていました。
三保神社の拝殿は昭和三年(1928年)に建てられたものですが、本殿は大社造りの二棟を装束の間でつなぐ建築であり、様式的には戦国期までさかのぼることができます。吉川広家が征韓戦捷の奉賽として文禄五年(1596年)五月に建てた本殿は江戸時代寛政十二年(1800年)の美保関大火で焼失し、現在の建物は文化十年(1813年)建立のもので、昭和五十六年(1981年)に国の重要文化財の指定を受けました。
全国に事代主神をご祭神とする神社は三千三百八十五社ありますが、美保神社はその総本宮であり、事代主神(ことしろぬしのかみ)と三穂津姫命(みほつひめのみこと)の二神を祀っています。『出雲国風土記』には御穂須須美命(みほすすみのみこと)だけと書かれているため、もとの祭神は御穂須須美命、一神だったと考えられます。事代主神を祀るようになったのは、『古事記』や『日本書紀』に見られる国譲りの神話によるものとされています。中世に入ると、事代主神は恵比寿神と習合し、漁業、海運、商売、歌舞音曲の神として福神信仰の本宮となり、現在に至っています。
当社の代表的な神事として、四月七日の青柴垣神事(あおふしがきしんじ)と十二月三日の諸手船神事(もろたぶねしんじ)があります。いずれも国譲りの神話にちなんだもので、古代色あふれる出雲の代表的な神事として知られています。境内の宝物庫には、神事で使用する諸手船が保管されており、二本の丸太を別々にくりぬいて継ぎ合わせた二枚仕立ての船は、古代くり船の系譜を引くものとして国の重要有形民俗文化財に指定されています。また、船神事に関連して中海のそりこ(国重要有形民俗文化財)、隠岐のともど(県有形民俗文化財)、沖縄糸満のサバニーといった舟も展示されています。
さらに、奉納鳴物(なりもの)の収蔵庫があり、美保神社の神様は鳴物好きという信仰により、数多く寄進されていたものを収蔵しています。笛、太鼓、琴、三味線、琵琶、月琴(げっきん)などで、年代的には戦国期から明治にわたります。そのうち八百四十六点は国の重要有形民俗文化財に指定されています。
この記事へのコメントはありません。