【小野神社】小野神社の歴史と御由緒について: 由緒ある神社の魅力と神秘を探る
東京都 多摩市
小野神社は、武蔵国開拓の祖神である天下春命を主神とし、安寧天皇18年2月末の日御鎮座と伝えられる由緒ある神社です。その名は、古代の呼び名であった「小野の郷」に由来し、その霊験あらたかな神社として朝廷の尊崇を受け、数々の奉幣にも預かりました。また、元慶8年7月には正五位上の神階を授けられ、廷喜式においても武蔵国八座の一社として名を連ねました。
歴史ある小野神社は、国府の近くに位置しており、国司や住民からも特別な敬意を受けていました。さらに、総社六所宮創建の際には東殿第一次の席を与えられ、一之宮と称されました。その後の時代にも、源頼義やその子義家が参籠し、太刀や詠歌を奉納するなど、歴史の中で多くの人々に敬われてきました。
小野神社には、有形文化財として貴重な随身像が安置されています。随身像は、日本古来の神道において神々の像のひとつで、神仏習合の影響により8世紀頃から作られるようになりました。随身像は、神を警護する近衛の像としての役割があり、倚像と呼ばれる椅子に座った姿で描かれています。
小野神社に安置されている随身像には、古いものと新しいものの2つがあります。古い方の随身像は、総高74.5cmで、元応元年(1319)に因幡法橋応円によって作られたものとされています。一方、新しい方の随身像は、総高52.3cmで、寛永5年(1628)に鎌倉仏師大弐宗慶によって制作されたものと考えられています。どちらの随身像も檜材を使用し、寄木造で作られており、胡粉地に彩色が施されています。また、頭部は挿首であり、玉眼が特徴となっています。昭和50年(1975)には、2つの随身像が修理されています。
室町時代以前の随身像は、東京都内では資料が少なく、貴重な文化財となっています。小野神社には、このような貴重な文化財が数多く所蔵されており、歴史や文化を感じることができます。
小野神社は、その由緒ある歴史とともに、多くの信仰を集め続けています。中世以来、文珠菩薩を本地とした信仰も行われていたとされ、鎌倉末期から戦国時代にかけては、度重なる戦乱や多摩川の氾濫により被災し、衰微しました。しかし、徳川二代将軍によって造営が再興され、現在に至っています。
まとめ
小野神社は、武蔵国開拓の祖神である天下春命を祀る由緒ある神社であり、歴史と文化が息づく場所です。有形文化財である随身像をはじめ、数々の貴重な文化財が安置されています。今後も、多くの人々に敬われ、その歴史や文化を後世に伝えていくことが期待されます。ぜひ、小野神社に足を運び、その歴史と神秘に触れてみてください。
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