Article list

奈良県 大神神社

大神神社(おおみわじんじゃ)は、奈良県桜井市三輪に鎮座する古社で、式内社(名神大社)、大和国一宮、二十二社(中七社)に数えられる。かつては美和乃御諸宮、大神大物主神社と称され、中世以降は三輪明神と呼ばれ親しまれていた。明治時代に「大神神社」と改名され、現在は神社本庁の別表神社となっている。神体山である三輪山を中心に信仰が集まり、多くの参拝者が訪れる。

三輪山(神体山)と大鳥居、二の鳥居、拝殿前の縄鳥居といった建物や構造物が立ち並び、神聖な雰囲気が漂う。大神神社は、出雲ノ神一族が崇敬し、磐座祭祀が行われたとされる日本の古い神社のひとつで、神奈備信仰様式が採用された神聖な場所であるとされている。

大神神社には、全国各地に分祀された大神神社・神神社(三輪神社、美和神社)があり、『延喜式神名帳』(『延喜式』巻9・10の神名式)にも記載がある。分布は、山陽道沿いの播磨(美作)、備前、備中、周防に多くみられる。

祭祀については、三輪山を神体山とし、本殿を持たず、山中には奥津磐座(おきついわくら)、中津磐座(なかついわくら)、辺津磐座(へついわくら)の3つの磐座が存在する。拝殿から三輪山を神体として仰ぎ見る古神道(原始神道)の形態が残されている。

寛文4年(1664年)に4代将軍徳川家綱によって再建された拝殿(国の重要文化財)は、高宮範房神主の代に金屋の茂左衛門と手代福本又次郎を番匠棟梁として造営されたものである。それ以前は三ツ鳥居と瑞垣が巡るだけであった。拝殿奥にある重要文化財に指定された三ツ鳥居(三輪鳥居)は営造物の中でも中枢の地位を占め、明神鳥居の形式に脇鳥居が接続し、本柱の他に脇柱が2本、合計4本の柱が立ち並ぶ特異な形式が特徴である。

三つ鳥居から辺津磐座までの区間は禁足地とされており、麓にある山ノ神祭祀遺跡からは、古墳時代中期以降の布留式土器や須恵器、子持勾玉、茶臼玉(竹玉)など古墳時代から奈良時代の遺物が出土している。三輪山の祭祀は、山中や山麓だけでなく、初瀬川と巻向川に挟まれた地域(水垣郷)でも三輪山を望拝して行われていた。

三輪山には大物主神に関する伝説があり、大神神社周辺の箸墓にまつわる伝説が特に有名である。倭迹迹日百襲媛命は聡明で未来を予言でき、武埴安彦命らの反乱を事前に察知し、討伐に繋がった。後に百襲媛命は大物主神の妻となるが、彼女は神の姿を見たことがなかった。ある日、ついに神の姿を見ることができたものの、美しい蛇の姿に驚き、大物主神は恥ずかしさから三輪山へと戻ってしまう。悲しみにくれた百襲媛命は、不慮の事故で箸が陰部を突き死亡し、大市に葬られた。彼女の墓は箸墓と呼ばれるようになったという。

神秘に満ちた大神神社は、歴史と伝説に彩られたパワースポットとして、多くの人々に訪れる場所となっています。その歴史と美しい自然に囲まれた境内は、訪れる人々に心の安らぎと癒しを与えてくれるでしょう。また、地元の人々に愛されるお祭りや行事も多く開催されており、大神神社は地域の文化と信仰の中心地としても重要な役割を果たしています。

【まとめ】
いかがでしたでしょうか。大神神社は、古神道や神奈備信仰の神秘に触れることができる貴重な場所です。奈良県に訪れる際には、ぜひ大神神社を訪れて、歴史と自然に囲まれた神聖な空気を感じてみてください。きっと、心身ともに癒される時間を過ごすことができるでしょう。

関連記事一覧

  1. この記事へのコメントはありません。