【豊受大神社 元伊勢外宮】伝統と歴史に彩られた豊受大神社の魅力と神話
京都府 福知山市
豊受大神社(とゆけだいじんじゃ)は、京都府福知山市大江町天田内にある神社で、旧社格は府社です。元伊勢伝承地の1つで、豊受大神宮(伊勢神宮外宮)の元宮であるとの伝承から、「元伊勢外宮」とも称されます。
豊受姫命が伊勢神宮外宮に祀られる前、丹波国から遷宮したとされています。当社は、豊受大神宮(外宮)とともに元伊勢伝承地の1つであり、市内大江地域には他にも元伊勢伝承の神社があり、「元伊勢三社」と呼ばれています。
主祭神は豊受姫命で、伊勢の豊受大神宮(外宮)祭神です。当神社は、雄略天皇が天照坐皇太神の夢託を蒙り、御饌都神(みけつかみ)として等由気太神(豊受大神)を丹波国から伊勢に迎えたのが外宮であると記された『止由気宮儀式帳』に登場します。それに基づいて、当神社は雄略天皇22年に伊勢へ遷座したその故地であるという説があります。
また、あるいは元鎮座地は比沼麻奈為神社(現京丹後市峰山町久次に鎮座)であるが、雄略天皇22年に伊勢へ遷座する途中で当神社の地にしばらく鎮座し、その跡地に建立したものであるとも言われています。さらに、用明天皇の第3皇子である麻呂子親王が当地の鬼を退治するに際して、内宮(現皇大神社)とともに勧請したものであるという異伝もあるそうです。
豊受大神社の歴史は、近世以前については不明ですが、江戸時代には宮津藩主京極高国が将軍家綱の疱続いて、江戸時代に入ると宮津藩主の京極高国が将軍家綱の疱瘡平癒を祈願するために社殿を造営し、社蔵棟札として明暦2年(1656年)に残されました。その後、延宝5年(1677年)に同永井尚長が4石6斗4升2合の社領を寄進し、藩家が歴代藩主の社参や代参、寄進等の崇敬を受けるようになりました。
現在の豊受大神社は、境内には多くの神社や社殿があり、大江地区の人々から親しまれる信仰の場となっています。例えば、社殿の南側には、鎮座する鶏神社があり、その周辺には、大江の伝統的な農具や生活用品が展示された資料館があります。また、毎年10月17日には、秋季例祭が行われ、多くの人々が訪れます。
豊受大神社は、伝統的な雰囲気が残る神社であり、大江地区を代表する観光スポットの一つでもあります。ぜひ、訪れてみてはいかがでしょうか。
この記事へのコメントはありません。