【枚岡神社】枚岡神社と古代の歴史を紐解く魅力溢れる神々の物語
大阪府 東大阪市
日本の神社の中でも歴史と由緒に恵まれた枚岡神社。今回は、その魅力や神々の物語を詳しくご紹介します。枚岡神社は、古代の河内大国に根ざし、大和朝廷の祭祀を司った中臣氏の祖神である天児屋根命(あめのこやねのみこと)が主祭神として祀られています。また、経津主命(ふつぬしのみこと)と武甕槌命(たけみかづちのみこと)は、香取・鹿島の神で、中臣氏と縁深い神として知られています。
枚岡神社の創祀は、皇紀前まで遡るとされ、神武天皇の勅命により、天種子命(あめのたねこのみこと)が祈願のために天児屋根命と比売御神(ひめみかみ)を祀ったのが始まりです。その後、春日神社から武甕槌命と経津主命を迎えて四殿となり、名神大社に列せられました。
主祭神である天児屋根命は、天の岩戸開きの功績や神事宗源(しんじそうげん)と称される神の地位にあります。また、天孫降臨の神話で重要な役割を果たした天孫輔弼(てんそんほひつ)の神とも称されています。
比売御神は、天児屋根命の后神で、常に夫神を支える内助の功績があります。また、御子神天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)を育てた良妻賢母としての姿も仰がれています。
武甕槌命は、鹿島神宮の御祭神で、神話の国譲りにおいて地上の国を平定する切り札として活躍しました。そのため、武力と権威の象徴とされる神様です。
経津主命は、香取神宮の御祭神で、武甕槌命と同じく国譲りの神話で出雲国に派遣され、見事にその役目を果たした神様です。そのため、武運守護の大神として信仰されています。
枚岡神社は、創祀当初は神津嶽(かみつだけ)にお祀りされていましたが、孝徳天皇の白雉元年(650年)に平岡連らにより、山麓の現地へ奉遷されました。その後、神護景雲2年(768年)に春日山本宮の峰に影向せられ、春日神社に祀られることとなり、元春日(もとかすが)と呼ばれるようになりました。
時代が下ると、宝亀9年(778年)に春日神社から武甕槌命と経津主命を迎え、四殿となります。大同元年(806年)には60戸の封戸が充てられ、貞観元年(856年)には天児屋根命が正一位の極位を授かりました。延喜式神名帳では名神大社に列せられ、朝廷から特別な尊崇を受けることとなりました。その証拠に、寛治5年には堀河天皇が参拝されました。
枚岡神社は、明治4年5月14日に官幣大社に列せられるなど、古来からの信仰を受け継いでいます。官幣大社に列せられた神社は、当時の数十万社の神社中、全国でわずか29社しかありませんでした。
河内国一之宮としても崇められる枚岡神社は、古代から現代まで多くの人々に信仰されてきました。その歴史と神々の物語は、訪れる人々に魅力的な力を与えてくれることでしょう。是非一度、枚岡神社を訪れて、その歴史と神々の息づかいを感じてみてください。
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