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2025年4月12日、KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭の開幕初日。前の記事では甲斐啓二郎・Pushpamala N・石川真生・劉星佑の4展示をレポートしましたが、この日はさらに3つの展示を巡りました。

今回紹介するのは、グラシエラ・イトゥルビデ、レティシア・キイ、そしてLee Shulman & Omar Victor Diopの3名(組)。いずれも、単純に「きれいな写真」とは言えない展示でした。心の奥のどこかを静かに揺さぶってくる、そんな作品たちです。

項目内容
イベント名KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2025
テーマHUMANITY(人間性)
開催期間2025年4月12日(土)〜5月11日(日)
会場京都市内各所
公式サイトkyotographie.jp

グラシエラ・イトゥルビデ|60年分の静寂が満ちた、日本初回顧展

  • 会場:京都市美術館 別館

京都市美術館 別館に足を踏み入れると、静かさが広がっていました。モノクロの写真が並ぶ空間は、声のトーンを自然と落としたくなるような、独特の張りつめた空気があります。

グラシエラ・イトゥルビデは1942年、メキシコシティ生まれ。60年以上にわたり撮影を続けてきた写真家で、今回の展示は日本初の回顧展です。ハッセルブラッド国際写真賞、ウィリアム・クライン賞など世界的な賞を数多く受賞してきた、現代写真の巨匠のひとりです。

「私にとって、色は幻想。私には現実が白黒で見えている」。そのイトゥルビデの言葉がそのまま体感できる展示でした。

写真に登場するのは、メキシコのソノラ砂漠に生きる人々、サポテカ族の女性たち、そして「ムシェ」と呼ばれる女装の男性たち。彼らは地域の伝統や儀式を守り続けています。砂漠の乾燥した大地に生える奇妙な植物、空を舞う鳥の群れ、生贄に供されようとするヤギ。自然と人間が溶け合い、生と死のメタファーが静かに写真の中に宿っています。

メキシコという、自分にとって遠い異文化の風景なのに、なぜかその写真の前に立つと「何か大切なもの」に触れているような感覚がありました。60年分の作品が集まるこの展示は、一枚一枚の写真に異なる時代の重みが積み重なっていて、その密度そのものが体験になっていました。

会場である京都市美術館 別館の空間も、展示の雰囲気と自然に溶け合っていました。白い壁と落ち着いた光の中で、モノクロの写真がより一層際立って見えました。

レティシア・キイ「LOVE & JUSTICE」|髪に刻まれた、自己と文化の物語

  • 会場:ASPHODEL、出町桝形商店街、DELTA/KYOTOGRAPHIE Permanent Space

レティシア・キイはコートジボワール育ちのアーティストで、その活動の核心にあるのは「髪の毛」です。

彼女が生きてきた社会では、ストレートな髪質や明るい肌の色こそが美しさの象徴とされてきました。植民地期の美意識が今も影を落とし、家族の女性たちは肌を漂白し、キイ自身も頭皮が焼けつくような薬品で何度も髪をストレートにしてきました。そして16歳のとき、その薬品処置に失敗し、ほとんどの髪が抜け落ちてしまいます。

そこから始まった旅が、彼女の作品の原点です。植民地以前のアフリカ女性の髪型の写真と出会い、その髪が彫刻的で精巧で、社会的なコミュニケーションの手段でもあったと知ります。「これまで消し去ろうとしていたものが、どれほど大きな力を秘めていたか」。その気づきが、自らの髪で彫刻のような造形を作るというアート実践に結びついていきました。

今回の展示には、2024年冬にKYOTOGRAPHIEのアフリカンアーティストインレジデンシープログラムで京都に滞在して制作した新作ポートレートも含まれています。

アイデンティティへのメッセージが、作品から直接伝わってきました。美しさの基準を問い直し、自分自身を取り戻す旅。そのプロセスが作品そのものになっているキイの写真は、見る側にも「自分が当たり前だと思っていたものは何か」を静かに問いかけてきます。

Lee Shulman & Omar Victor Diop「Being There」|昔の家族写真に、静かな侵入

  • 会場:嶋臺(しまだい)ギャラリー

嶋臺ギャラリーという会場の雰囲気は、展示の内容と絶妙に呼応していました。落ち着いた空間に並んでいるのは、一見するとごく普通のスナップ写真です。

1950〜1960年代の北米で撮られた家族のアルバム写真。休暇の笑顔、誕生日パーティー、日曜日の庭先。どこかなつかしく、幸せそうな光景が続きます。

しかし、よく見ると気づきます。そこにいるはずのない人物が、自然な顔で写り込んでいるのです。

Lee Shulmanはアノニマス・プロジェクトの創設者で、世界中から集められた80万枚もの匿名の家族写真コレクションを持つアーティストです。そのコレクションの中から選ばれた1950〜60年代の写真に、セネガルの写真家Omar Victor Diopが「介入」しています。

この時代のアメリカは、人種隔離政策と公民権運動の真っ只中でした。家族写真に映る「幸福」は、黒人が映り込まない場所でのみ成立していた幸福でもありました。そこにディオプが写真本来の粒子や質感をそのまま保ちながら侵入することで、写真に漂っていた「無邪気さ」が静かに揺らぎます。

不穏でありながら、どこか遊び心もある。重いテーマを正面から叩きつけるのではなく、見る人を少しずつ「不在」に気づかせていく手法が、この作品の核心だと感じました。

展示を見終わったあと、しばらく頭から離れませんでした。社会的なメッセージが重く、静かに考えさせられる展示でした。

3展示を振り返って──どれも甲乙つけがたい

今回の3展示は、それぞれが異なる形で「見えていないもの」「語られてこなかったこと」に光を当てていました。

イトゥルビデは、メキシコの先住民コミュニティとともに生き、その文化の尊厳をモノクロで詩的に記録してきました。キイは、植民地主義的な美意識によって否定されてきた自分の髪を、今度は誇りある自己表現として彫刻にしました。ShulmanとDiopは、過去の家族写真に残る「不在」に介入し、歴史が意図的に隠してきたものを静かに浮かび上がらせました。

テーマは「HUMANITY(人間性)」。この3展示を通じて、人間性とは誰かによって決められるものではなく、見えなくされてきたものの中にも確かに存在していたのだと、改めて感じました。

KYOTOGRAPHIE 2025の会期は2025年5月11日まで続きます。京都の春に、ぜひ足を運んでみてください。

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