【花の窟神社】花の窟神社:神々が眠る日本最古の地への招待
三重県 熊野市
日本最古の地とされる「花の窟神社」は、神々の母である伊弉冊尊(イザナミノミコト)が火神・軻遇突智尊(カグツチノミコト)を産み、灼かれて亡くなった後に葬られた御陵です。平成16年7月に花の窟を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されました。
【花の窟神社:日本最古の神社】
花窟神社(花の窟神社)は日本書紀にも記されている日本最古の神社といわれており、古来からの聖地として今に続く信仰はあつく、全国から多くの参拝者がお越しになります。花の窟では年2回、例大祭を行います。神々に舞を奉納し、日本一長いともいわれております約170メートルの大綱を岩窟上45メートル程の高さの御神体から境内南隅の松の御神木にわたします。この「御綱掛け神事」は、太古の昔から行われており「三重県無形文化指定」されています。
【日本書紀からみる花の窟の由緒】
日本書紀には、「一書曰伊弉冉尊火神(いざなみのみこと)を生み給う時に灼(や)かれて神退去(さり)ましぬ 故(か)れ紀伊国 熊野の有馬村に葬(かく)しまつる 土俗(くにびと)此神の魂(みたま)を祭るには 花の時に花を以って祭る 又鼓 吹幡旗(つづみふえはた)を用て歌い舞いて祭る」とあり、即ち当神社にして、その由来するところ最も古く、花窟の名は増基法師が花を以て祭るより起これる名なり。
【花の窟神社:古来社殿なく、石巌壁立高さ45米】
花窟神社は古来社殿なく、石巌壁立高さ45米。南に面しその正面に壇を作り、玉垣で周う拝所を設く。この窟の南に岩あり、軻遇突智神の神霊を祀る。
【花の窟神社:伊弉冊尊の神話】
伊弉冊尊は日本神話の大地母神であり、人間の寿命を司る黄泉津大神である。同時期に生まれた国之常立神、豊雲野神、宇比地邇神、須比智邇神、角杙神、活杙神、意富斗能地神、大斗乃弁神、淤母陀琉神、阿夜詞志古泥神、伊邪那岐命と並んで「神世七代」と称される。
『記紀神話』では、伊弉諾尊(イザナギノミコト)と共に天津神に国造りを命じられ、大八島国(日本の国土)と大事忍男神ら35の神々を生むが、軻遇突智尊(カグツチノミコト)を生むときに火傷を負い、それがもとで神逝る。
伊奘冉尊は、火神を生む際に、灼かれて神退去りましぬ。故に、紀伊国の熊野の有馬村に葬りまつる。土俗(くにひと)は、この神の魂を祭る際、花の時には花を以て祭る。また、鼓吹幡旗を用いて、歌い踊って祭る。
日本書記では軻遇突智(カグツチ)、火産霊(ホムスビ)と記されている。伊弉冊尊が火の神である軻遇突智尊に焼かれ、寝たきりになりながらも土神(ツチノカミ)埴山姫(ハニヤマビメ)と水神(ミヅノカミ)罔象女(ミツハノメ)を生んだ。軻遇突智尊は埴山姫を娶って、稚産霊(ワクムスビ)を生んだ。この神の頭の上には蚕と桑が生じ、また臍の中に五穀が生じた。罔象女は、これをみつはと読む。
伊奘諾尊は、恨んで言った、「ただ一子で、私の愛しい妹に代わることができたか」と言いながら、頭の辺に匍匐し、足の辺に匍匐し、泣いて涙を流した。その涙が落ちて神となる。これは畝丘の樹下にいる神であり、啼沢女命と号する。遂に所持していた十握剣(とつかのつるぎ)を抜き、軻遇突智を斬り、三段にした。こうして客神と化した。
【花の窟神社:魅力と訪れるべき理由】
花の窟神社は、古来より聖地とされ、多くの参拝者が訪れる場所です。ここでは、年に2回の例大祭が行われ、神々に舞を奉納し、約170メートルの大綱を岩窟上45メートル程の高さの御神体から境内南隅の松の御神木に渡す「御綱掛け神事」が行われます。この神事は、太古の昔から続いており、三重県無形文化指定を受けています。
花の窟神社の魅力は、その歴史と神話に溢れた由緒ある場所であること。また、その自然に囲まれた神秘的な雰囲気が、訪れる人々に癒しと安らぎを与えてくれます。花の窟神社を訪れる理由は、以下の通りです。
- 日本最古の神社とされ、日本神話や歴史に興味がある人には必見の場所です。
- 例大祭や御綱掛け神事など、伝統的な神事が体験できること。
- 美しい自然に囲まれ、心身ともに癒されることができます。
- 神秘的な雰囲気が漂い、日本の神々の世界に触れることができます。
花の窟神社は、その歴史と伝統に触れることができる貴重な場所です。是非、足を運んで神々の息づかいを感じてみてください。
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